南禅寺から銀閣寺まで
京都駅からいつもはよく利用する地下鉄には乗らずにバスを選んだ。
里の家へ向かう乗り慣れた5系統のバス。
20分程したとき平安神宮の大きい朱色の鳥居が見えて、
岡崎美術館前に来た。懐かしさが込み上げてきて心が躍り始めた。
さらに動物園前を過ぎて、アナウンスが南禅寺・永観堂前と言ったとき、
急に降りたくなってボタンを押してしまった。
素晴らしい快晴。
子どもの頃よく通り抜けた大きなお屋敷の間の道を南禅寺へ向かった。
静かで凛とした空気を漂わせているこの道は昔のままだ。
南禅寺の山門も昔のままだ。
またすぐバスに乗るつもりでいたことなどすっかり忘れて、
子どもの頃のたくさんの思い出に追われるように
煉瓦作りの疎水を見たあとは、
永観堂を過ぎて哲学の道へと辿って行ってしまった。
懐かしさに導かれて歩いた哲学の道。
遊歩道などできて昔とは随分異なっていた。
さくらの木々は老木となっていたが
桜並木のトンネルは変わっていない。
蕾はまだ固かった。
終着は銀閣寺道。
この界隈こそ私の子どもの頃過ごしたところだ。
銀閣寺道からふたたび5系統のバスに乗って上(かみ=北)へと向かった。
私が大人になってから、
里の家は銀閣寺道から上になる修学院離宮の近くに居を移した。
そこはまさに亡き父のふるさとなのだ。
2008/3/15
里の家へ向かう乗り慣れた5系統のバス。
20分程したとき平安神宮の大きい朱色の鳥居が見えて、
岡崎美術館前に来た。懐かしさが込み上げてきて心が躍り始めた。
さらに動物園前を過ぎて、アナウンスが南禅寺・永観堂前と言ったとき、
急に降りたくなってボタンを押してしまった。
素晴らしい快晴。
子どもの頃よく通り抜けた大きなお屋敷の間の道を南禅寺へ向かった。
静かで凛とした空気を漂わせているこの道は昔のままだ。
南禅寺の山門も昔のままだ。
またすぐバスに乗るつもりでいたことなどすっかり忘れて、
子どもの頃のたくさんの思い出に追われるように
煉瓦作りの疎水を見たあとは、
永観堂を過ぎて哲学の道へと辿って行ってしまった。
懐かしさに導かれて歩いた哲学の道。
遊歩道などできて昔とは随分異なっていた。
さくらの木々は老木となっていたが
桜並木のトンネルは変わっていない。
蕾はまだ固かった。
終着は銀閣寺道。
この界隈こそ私の子どもの頃過ごしたところだ。
銀閣寺道からふたたび5系統のバスに乗って上(かみ=北)へと向かった。
私が大人になってから、
里の家は銀閣寺道から上になる修学院離宮の近くに居を移した。
そこはまさに亡き父のふるさとなのだ。
2008/3/15
by pcnkyoko
| 2008-03-18 22:40
| 散歩